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早く結婚して安定した職業について程々の人生を送って、時々ワンダフルな非日常が送りたい、が自分の夢だった。将来の夢と言う馬鹿げた理想郷を書かされた時、やはり一番目的の結婚を大いに使った物をくしゃくしゃの大きいマスの原稿用紙に書いて、親や友人の親が見ている前で威風堂々と大きい声で放った。だれでもいいのです、ぼくとけっこんしてください。まだまだ上手では無い日本語で言った言葉に、親は眩暈を覚え友人の親からは変な目で見られクラスメイトには笑われ、変な子と言うレッテルを張られてしまったのは、小学生になってまだ日が浅い時の事だった。
それから小学校高学年に差し掛かる中学年の時、昔の記憶がトラウマだったのか「夢」が思うように書けず思い悩み、色々と道を踏み外し最終的にはやっぱり早めに結婚して良い家庭を持つと少しリアルになったくらいだった。それをクラスメイトに発表するとまたかよ笑う奴や女の子みたいという奴が居たが開き直り、最終的には自分の夢をへらへら聞いている担任をぶん殴って親に怒られたものの、夢が無いって言ったのはそっちだ、と言おうにも言えない状況で親に押さえつけられる後頭部の痛みを感じながら、いつか結婚してやると堅く誓った真夏の土砂振りの雨の日だった。
小学校高学年になるとやはり周りの目が気になるらしく、クラスメイトも真剣に夢を考えるようになってようやく自分の時代が来たのだ、と思って顔がにやつくのを抑えられず発表したのは20代半ばで結婚をし、奥さんと子供二人を持ち安定した収入を得る事、と発表すると今度こそ馬鹿にする奴はいなかったが呆然としていた奴がいるので蹴っておいた。まあ中学年動揺親に怒られ父には殴られ大泣きしたのは冬の寒いだけの日だった。
中学になると、部活だとかそう言う理由で慌てだし夢を発表する機会は減った。勉強と部活の両立。と言われても特に気になる部も無く適当に入ったその部の大会で、いつもつるんでいた幼馴染と戦う事になりあれこいつ年上だったのかだとか高校生じゃないのかと言うのは置いておいて、夢は結婚願望一筋だったというのにいつの間にか部活に専念しているようになった。
中学二年生になってもうじき夏の大会が来る前に、幼馴染であるそいつの家に遊びに向かった。もともと親同士が仲良く合った事もあるからか母にこれを持って行きなさいと、スーパー袋に入れられた重いスイカを持たされ、炎天下の中放り出された戦争に向かう事になって、自転車がぎいぎいと嫌な悲鳴を上げる中坂を下って幼馴染の家に向かった。
ほんと意味分からないんだけど、なに、なんなの。という言葉は喉の渇きと共に呑み込んで、縁側に白い脚を出しながら座っている幼馴染に毒吐きながら「スイカ、いるでしょ」と言うと、幼馴染は目を丸くして陽気にお茶でも飲むかいと笑った。くそう、もらってやる。
「新羅、どうしよう俺おかしくなっちゃったんだ」と言ったのは夏の大会が終わった次の次の次の日だった。郊外に近い位置にある学校に行く途中の移動しているバスの中で、俺は隣に座りながら音楽を聞いている新羅に話しかけた。「なに具合でも悪いのかい」とイヤホンを片方外しながらそう尋ねて来て、俺は汗を滲ませる新羅の首筋に飛びついた。大会の時あんなに堂々としていた体が目の前にある。「ちょ、っと待って、なに、どういうこと」困惑している新羅の首筋を見つめながら舌を突き出しべろりと舐め上げると新羅は、それこそ怒っているのか泣いているのか恥ずかしいのか分からない表情をしながら、「取り敢えず、その、高校行かなくちゃいけないからっ」と俺を突き飛ばしてバスを降りる。待って、そこ降りるとこじゃな、と言う前に新羅は走り去って行った。けれど俺は何処か冷静で、あんなに大会では逞しい表情をしている新羅が俺の前でしか見せない表情を見せたという事実に、ただただ優越感を感じていた。
「あ」
それから次の日俺は目を赤く腫らすまでわんわんと見っとも無く泣いた。小学低学年のころから夢だった、誰かと結婚して妻子を持ち安定した職業と収入を得て程々に人生を楽しむ人生設計が崩壊して行く音が後方で聞こえてくる。
中学二年生の夏休みの終わり、俺は幼馴染♂に恋をした。
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